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横浜地方裁判所 昭和48年(ワ)1840号 判決

原告 松岡比呂子

〈ほか二名〉

右原告三名訴訟代理人弁護士 森壽雄

同 小又紀久雄

右訴訟復代理人弁護士 藤本昭

被告 岩泉春夫

右訴訟代理人弁護士 藤井暹

同 西川紀男

同 池田和司

右藤井暹訴訟復代理人弁護士 橋本正勝

主文

一  被告は原告松岡比呂子に対し金三〇〇〇万円及び内金一〇〇〇万円に対する昭和四九年一月二三日から、内金二〇〇〇万円に対する昭和五三年一月一九日から各支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

二  被告は原告松岡富雄、同松岡力代に対し各金三〇〇万円及び各内金二五〇万円に対する昭和四九年一月二三日から、各内金五〇万円に対する昭和五三年一月一九日から各支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

三  原告松岡富雄、同松岡力代のその余の請求をいずれも棄却する。

四  訴訟費用はこれを一〇分しそのうち三を原告松岡富雄及び同松岡力代の負担とし、その余を被告の負担とする。

五  この判決は原告らの勝訴部分の三分の一を限度として仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  主文第一項と同旨。

2  被告は原告松岡富雄(以下「原告富雄」という)、同松岡力代(以下「原告力代」という)に対し各金一〇〇〇万円及び各内金二五〇万円に対する昭和四九年一月二三日から、各内金七五〇万円に対する昭和五三年一月一九日から各支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

3  訴訟費用は被告の負担とする。

4  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告らの請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  当事者

原告松岡比呂子(以下「原告比呂子」という)は、同富雄、同力代夫婦の二女であり、被告は産婦人科医院(以下「被告医院」という)を開業している医師である。

2  診療契約の締結

原告富雄、同力代の両名は被告との間に、昭和四五年一〇月六日原告力代が被告医院に入院する際、生まれてくる子供(原告比呂子)に病的症状があれば被告においてこれを医学的に解明しその症状に応じた治療行為を行うことを内容とする診療契約を締結し、更に昭和四五年一〇月七日原告比呂子の出生に際し、同児の法定代理人として右同内容の治療行為を行う旨の診療契約を締結した。

3  原告比呂子の出生とその後の症状及び被告の診療経過

(一) 原告力代は昭和四五年一〇月六日被告医院に入院し、翌七日午前九時五〇分原告比呂子を出産した。原告比呂子は出生時体重約三四〇〇グラムの成熟児で身体に異常はなかった。

(二) なお原告力代の血液型はO型、同富雄の血液型はB型であったため、原告力代は妊娠中から診察をうけていた被告に対し新生児がB型の血液型である場合は血液型不適合による重症黄疸にならぬよう万全の措置を講ずるよう依頼していたところ、出生した原告比呂子の血液型はB型で同原告はいわゆる血液型不適合児であった。

(三) 原告比呂子は出生後直ちに被告の管理下におかれたが、出生翌日の一〇月八日夕方には既に黄が発疸現した。

(四) 一〇月九日、原告比呂子の黄疸は更に強くなったが、被告はこれを単なる生理的黄疸と考え、同日午後原告比呂子を同力代の許に移した。しかしその時には既に原告比呂子の鼻頭や眼球は甚しく黄色味をおび、しかも原告比呂子はただ眠りつづけるのみで泣きもせず、ミルクもほとんど飲まず、母乳を与えても二、三回つっつくと又眠ってしまうような状態であった。

そこで原告力代は同日夜被告回診の際被告に対し原告比呂子の右症状を訴えたが、被告は原告比呂子を一見したのみでそれ以上の診察をせず、ただ看護婦に命じて栄養剤を注射したのみであった。

原告比呂子はその注射の際微動だにせず、その後も眠りつづけ一晩中全く乳を飲まなかった。

(五) 一〇月一〇日、原告比呂子は発熱するとともに鼻の囲りから口にかけて強い青黄色のチアノーゼ気味の状態となって、相変らず乳を飲まない状態が続いた。

そこで原告力代は同日夜回診の際被告に対し原告比呂子の右異常をくり返し訴えたが、被告は全く取り上げず、ただ原告比呂子をのぞき込むだけで他に何らの診察をせず、前同様看護婦に命じて栄養剤を注射したのみであった。

しかしその夜原告比呂子は、一晩中眠らず、時折痙攣をくり返し、母乳を与えると逃げ、目はつり上がり白目になるという症状(落陽現象)を示すに至った。

(六) 一〇月一一日原告比呂子の前日来の異常な症状は相変らず続いていたうえ、発熱がひどくなって(体温は三八・八度)呼吸不整の状態に陥り、顔面等の青黄色はますます強くなった。

そこで原告力代は看護婦に原告比呂子を神奈川県立子供医療センター(以下「医療センター」という)へ転院させるよう強く要請し、その結果被告は同日午前一一時原告比呂子を医療センターへ転院させた。その間被告は体温を看護婦に測らせたのみで原告比呂子の容態を一度も診察していない。

4  医療センターにおける経過

医療センターに転院された原告比呂子につき転院当日間接型直接型を含む血清総ビリルビン値(以下「血清ビ値」という)の測定がなされたところ、その値は既に一デシリットル当たり三七・八ミリグラムという異常に高い値を示し、当日朝の高熱、前夜来の原告比呂子の一般状態(外観的状態)を併せて総合的に判断すると核黄疸に罹患しその危険限界を過ぎて既に手遅れであるとの診断をうけたが、とりあえず同センターにて交換輸血がなされた。

そして原告比呂子は医療センターに一〇月二七日まで入院し治療をうけた。

5  原告比呂子の身体障害と原因

原告比呂子はいまだに首、上下肢に著しい運動機能障害がみられ、日常の起居動作も不可能で首もすわらず寝たきりで咀嚼能力もなく、更に重度の言語障害を併い、原告富雄、同力代の常時の付添を要する状態である。

そして原告比呂子は現在横浜市において身体障害者等級表による級別一級の第一種身体障害者として認定されている。

原告比呂子の右障害は核黄疸の後遺症たる脳性麻痺によるものである。

6  被告の債務不履行

(一) 核黄疸とその症状、治療方法

(1) 新生児黄疸は、出生直後の新生児の血液中に存在する間接ビリルビン(体内赤血球が崩壊ないし死滅する際遊離するヘモグロビンの代謝産物とみなすべき黄色の脂溶性の物質で通常の場合肝臓に吸収され一定の処理を経て水溶性の直接ビリルビンとなり胆汁中に分泌される)が血液中から皮下脂肪に沈着することによって発生するが、この間接ビリルビンが異常に増加すると皮下脂肪のみでなく脳実質ことに脳底諸核に沈着して脳障害(核黄疸)を併発する。このように黄疸が病的に重症のものを「重症黄疸」と総称し、そうでない生理的なものにとどまって何らの治療を要しない「生理的黄疸」と区別される。

そして右のとおり重症黄疸は核黄疸を併症することが多いのであるが、この間接ビリルビンの異常増加・蓄積の原因として赤血球の異常崩壊があり、その代表的疾患として母子間のRh式あるいはABO式の血液型不適合があり、これらを「新生児溶血性疾患」という。なお、血液型不適合とは無関係に高ビリルビン血症を呈するのは「特発性高ビリルビン血症」又は「新生児高ビリルビン血症」といわれ、これも核黄疸の一発生機序である。

(2) 核黄疸の症状

① 母子間の血液型不適合に伴う「新生児溶血性疾患」の場合、黄疸は一般に生後二四時間ないし三六時間内に出現し、「特発性高ビリルビン血症の場合は一般にそれより遅く、生後四日から七日に最高となる。

② そして核黄疸の臨床症状は次のとおりである。なお臨床症状の発現時期は新生児溶血性疾患の場合生後三日ないし四日ころ、特発性高ビリルビン血症の場合は六日前後が多い。

第一期 筋緊張の低下、嗜眠、吸啜反射の微弱化、哺乳力減退等

第二期 痙攣、筋強直、後弓反射、発熱(直腸温摂氏三八度ないし四〇度)、落陽現象(眼球が下を向く状態)

第三期 痙攣、筋強直の減退

第四期 恒久的な脳中枢神経障害(錐体外路症状の出現)

(3) 治療

成熟児の場合血清ビ値一デシリットルあたり二〇ミリグラムをもって核黄疸の危険限界値とされているので、新生児の黄疸が生理的黄疸に比較してその程度が強くなった時点で血清ビ値を測定し、それが右限界値までの時点或いは遅くとも前記第一期症状の発現した時点において速やかに交換輸血を行えば通常核黄疸の後遺症(脳性麻痺)の発生を防止しうるが、第二期症状出現以後は脳の病変は不可逆性となり、たとえ交換輸血によって一命をとりとめても恒久的な脳障害の後遺症を残す可能性がある。

昭和四五年原告比呂子の出生当時、重症黄疸、核黄疸の症状、経過、予後、その治療に関する以上の知識は一般開業医において広く普及認識され、臨床学的にも定説であった。又血清ビ値の検査が必要か否かを判断するため黄疸の程度を測定するのに充分な精度を有するものとしてイクテロメーターが広く一般に常備使用されていた。

(二) 従って被告としては特に黄疸の発現とその変化及び原告比呂子の一般状態について充分な注意と観察をする必要があり、又原告比呂子がABO式血液型不適合児であることは充分認識していたのであるから、本件において一〇月八日に早くも黄疸が発現した時点あるいは遅くとも同月九日から一〇日にかけて原告比呂子の黄疸が強くなり、その哺乳力の減退、不元気、嗜眠など前記第一期症状の発現がみられた段階においてイクテロメーターによる検査、血清ビ値の測定を行い、必要とあれば交換輸血を行い、もし血清ビ値の測定及び交換輸血をなしうる設備を備えていないなら十分な措置をとりうる病院へ転院させる処置を講ずることによって核黄疸の後遺症を未然に防止すべき義務があった。

しかるに被告は原告比呂子について血清ビ値の測定、体温の測定、その一般状態の診断など綿密な観察、管理を怠たり、原告比呂子が右核黄疸の第一期症状を予測させる症状の発現をみたのに、単に新生児の生理的黄疸と考えて看過し何らの具体的措置をとらなかったことにより、交換輸血の時期を失し原告比呂子に対し核黄疸の後遺症である脳性麻痺を生ぜしめたものである。

従って原告比呂子の脳性麻痺は被告の診療契約上の債務不履行に基づくものであり、被告はこれによって原告らが被った後記損害を賠償すべき責任がある。

7  損害(慰謝料)

(一) 原告比呂子は生涯寝たきりの状態にあって自分一人では日常生活を過すことは不可能で他人の看護をうけねばならず又仕事を持つこともできない。そこで将来にわたる看護費用の支出・逸失利益については、同原告がかかる不利益を避けられない程の重度の身体障害にあるとしてこれらを精神的損害に組み入れ(物的損害について将来別個にその賠償請求をする意思はない。)、併せて原告比呂子が常に生命を失う危険にさらされていることをも考慮し、その苦痛を慰謝するには金三〇〇〇万円が相当である。

(二) 原告富雄、同力代夫婦は日夜原告比呂子の看病を続けているが、その精神的苦痛、経済的負担は増加するばかりであり、この苦痛を慰謝するには各金一〇〇〇万円が相当である。

8  原告らは被告に対し、昭和四九年一月二二日到達の本訴状をもって原告比呂子は金一〇〇〇万円、その余の原告らは各金二五〇万円の、さらに昭和五三年一月一八日到達の訴の変更申立書をもって原告比呂子は、金二〇〇〇万円、その余の原告らは各金七五〇万円の支払を催告した。

9  よって被告に対し債務不履行に基づく損害賠償請求権に基づき、原告比呂子は金三〇〇〇万円及び内金一〇〇〇万円に対する昭和四九年一月二三日から、内金二〇〇〇万円に対する昭和五三年一月一九日から各支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金、原告富雄、同力代は各金一〇〇〇万円及びそれぞれ内金二五〇万円に対する昭和四九年一月二三日から、内金七五〇万円に対する昭和五三年一月一九日から各支払ずみまで同割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1の事実は認める。

2  同2の事実のうち原告力代が昭和四五年一〇月六日被告医院に入院し、翌七日原告比呂子を出産したことのみ認め、その余は争う。

3(一)  同3(一)の事実は認める。

(二) 同(二)の事実のうち原告力代の血液型がO型、同比呂子の血液型がB型であること、被告が原告力代の妊娠中診察していたことは認め、原告富雄の血液型は不知、原告力代から重症黄疸にならぬよう依頼を受けたことは否認する。

(三) 同(三)の事実のうち黄疸の発現時期が夕方であることは否認し、その余の事実は認める。原告比呂子に黄疸が出現したのは一〇月八日夜であり、軽度なものであった。

(四) 同(四)の事実のうち、一〇月九日原告比呂子に黄疸がででいたこと、被告がこれを生理的黄疸と考えていたこと、同日午後原告比呂子が同力代の許に移されたこと、被告が回診した事実を認め、その余の事実は否認する。原告比呂子の黄疸は九日夕方から強くなったものであり、それまでの一般状態は極めて良好であった。

(五) 同(五)の事実のうち被告が回診した事実のみ認め、その余は否認する。原告比呂子の一般状態は良好であり一回の哺乳量四〇ミリリットルを一定時間おきに完全に飲みほしていた。右黄疽も生理的黄疸の域を出ていなかった。

(六) 同(六)の事実のうち、被告が一〇月一一日原告比呂子を医療センターに転院させたことは認め(その時刻は午前一〇時前である)、その余の事実を否認する。

4  同4の事実のうち、原告比呂子が一〇月一一日医療センターにて交換輸血を受けたことは認め、その余の事実は知らない。

5  同5の事実のうち、原告比呂子が脳性麻痺にあることは認めるが、それが核黄疸の後遺症によるものであるとの点は否認し、その余の事実は知らない。

6(一)  同6(一)(1)(3)の事実は認め、(2)の事実のうち黄疸の出現時期を争いその余の事実は認める。

(二) 同6(二)の主張は争う。

被告は一〇月一一日原告比呂子がその黄疸の程度に比して一般状態が急に悪化し元気がなく嗜眠状態となったので重症黄疸の虞れがあると診断し、同日午前一〇時前に原告比呂子を医療センターに転院させた。従って被告には何らの債務不履行はない。

なおABO式不適合はRh式不適合に比し妊娠中に予測するのは困難で、出生後の黄疸の強さとか新生児の一般状態により推察する外ない。そして黄疸の強さと核黄疸の発生とは必ずしも一致せず、一般に重症黄疸の場合は生理的なものに比較して出現時期が生後一二時間から二四時間と早くかつその程度即ち黄色の色合が強い。

原告比呂子の場合の黄疸は生理黄疸とほぼ一致する遅さで発現し、その初発も極めて軽度であった。そして黄疸の程度の増強よりも一般状態の悪化の方が急速に先行して現われたので重症黄疸の予測が一層困難であった。

7  同7の事実は不知。

8  同9は争う。

三  被告の主張

1  原告比呂子の脳性麻痺は、医療センターにおいて第一回の交換輸血後適切な措置がとられなかったことに起因するものであって被告の診療行為との間に因果関係は存しない。即ち、血清ビ値を低減させるべく交換輸血を実施すると血液中のビリルビン量は一旦低下するものの、体内の皮下脂肪等に沈着していたビリルビンが再び血液中に戻るため血清ビ値が再上昇する――この現象をはね返り現象という――ので、血清ビ値が一デシリットルあたり二〇ないし二五ミリグラム以上に再上昇した場合には再び重症黄疸・核黄疽の危険があるものとして再度の交換輸血を実施する必要がある。しかるに医療センターは一〇月一二日午後九時には全身黄疸著名となりはね返り現象があり右時点で再度の交換輸血をすべきであったにもかかわらずこれを怠ったため、原告比呂子に核黄疸による脳性麻痺を生ぜしめたものである。

2  原告比呂子の白血球数は一〇月一二日一ミリリットルあたり一八五〇〇、同月一六日一二二〇〇と高い値を示し、同月一二日のCRP試験――C反応性タンパク試験――の結果は()であって、この事実に照すと、原告比呂子は敗血症を起していた可能性があり、これによって肝炎を起し、その結果黄疸が発生したものというべく、新生児溶血性疾患による核黄疸とは因果関係を有しない。

3  又原告比呂子の一〇月一二日の髄液検査によれば、比重一、〇一〇(正常値は一、〇〇六ないし一、〇〇八)、総蛋白は一デシリットルあたり一二七ミリグラム(正常値は三〇ミリグラム)、ノンネアペルト反応(+)((-)陰性が正常)、パンディー反応()(弱陰性―陰性が正常、)細胞数(白血球数)20/3(Lリンパ球19/3、N好中球1/3但し正常限界は合計6~9/3)糖一デシリットルあたり七一ミリグラム(五〇ないし七五ミリグラムが正常)であって、原告比呂子は感染源不明の髄膜炎を起しており、右髄膜炎のため脳性麻痺を起こしたものである。

従って原告の脳性麻痺は黄疸に起因するものではなく、被告の診療行為と因果関係を有するものではない。

四  被告の主張に対する認否

1  被告の主張三1の事実のうち原告比呂子の脳性麻痺が医療センターにおけるはね返り現象に起因するものであるとの点は否認する。

2  同2の事実のうち、原告比呂子の一〇月一二日、一六日の白血球数及び同月一二日のCRP試験の結果が被告主張のとおりであることは認め、その余は否認する。

成熟新生児の場合、その白血球数は成人に比して多いのが普通であり、臨床的にみても、生後五日目で(二五例)一立方ミリメートルあたり五四〇〇ないし二一〇〇〇(平均値一二二四四)、七日目で(一六例)、一立方ミリメートルあたり五四〇〇ないし一七九〇〇(平均値一二八三一)となっているから、原告比呂子の白血球数が高いとはいえず、又CRP試験も敗血症となれば全例強陽性で一般に()ないし(+6)という高い値を示すところ、原告比呂子の場合一〇月一七日には(-)となっている。又原告比呂子は高熱を伴ってはいるが、それは敗血症特有の間欠熱(一日の中でその差が大きい)ではない。

従って原告比呂子が敗血症を起していたことはない。

3  同3の事実のうち、原告比呂子の髄液検査のうちその総蛋白量、細胞数が被告主張のとおりであることは認めるが、原告比呂子が髄膜炎を起こしていたこと及び原告比呂子の脳性麻痺が髄膜炎によるものであるとの点は否認する。

或る臨床例(一九五例)についての生後第一回の髄液総蛋白量は一デシリットルあたり一〇五・五プラスマイナス七・一ミリグラムをもって平均値とするが、更に一五〇ミリグラムであっても必ずしも異常とはいえず、又白血球数(細胞数)も右臨床例では30/3をもって正常限界としているので、原告比呂子の場合蛋白量、細胞数に何ら異常はない。又原告比呂子には髄膜炎特有の髄膜刺激症状(項部硬直、ケルニッヒ徴候)は認められない。

従って原告比呂子が髄膜炎を起こしていた可能性はない。

第三証拠《省略》

理由

一  診療契約の締結

原告富雄、同力代は夫婦であって、妻である同力代が妊娠しその出産のため昭和四五年一〇月六日被告医院に入院し、翌七日原告比呂子を出産したこと、原告比呂子は同日から同月一一日医療センターに転院するまで被告医院において管理保育され被告の診察をうけていたことは当事者間に争いがなく、右事実に《証拠省略》を総合すると原告らと被告との間に請求原因2記載の診療契約がそれぞれ締結されたことが認められ、この認定を覆えすに足りる証拠はない。

二  被告医院における原告比呂子の症状と被告の診療経過

《証拠省略》を総合すると次の事実が認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

1  原告比呂子は昭和四五年一〇月七日午前九時五〇分体重三四〇〇グラムの成熟児として出生し、身体には異常がなく直ちに被告医院の育児室に移された。被告医院では出生後四八時間は新生児を被告の管理下におき、その間に異常が認められなければ母親の許に移し、その後は一日一回夕方ころ回診し、又午前中の沐浴時等に看護婦から異常が報告された場合適宜診察する態勢をとっていた。

2  一〇月八日、原告比呂子のミルクの哺乳量は四〇ccで少なめであり、夕方には軽い黄疸が出現した。

3  一〇月九日原告比呂子の黄疸は前日に比して強くなったが、被告は生理的黄疸と考えて昼すぎ原告比呂子を原告力代の許へ移した。原告力代は原告比呂子の眼鼻が黄色味をおびていることを観取し、また同女がその後眠りつづけるのみで泣きもせず、起こしてミルクを与えようとしても哺乳壜の乳首を二、三回つくつくと吸うだけで眠りこんでしまう状態であったので、同日午後七時ころ回診にきた被告に対し、右の状態を伝えたが、被告は原告比呂子の顔をのぞきこみ、大丈夫であるというのみであった。

なお同日のミルクの哺乳量は五〇ミリリットルにすぎなかった。

4  一〇月一〇日原告比呂子は原告力代による哺乳を全く受け付けずしかも午後にはその鼻の辺りから口元にかけて黄色味の他に青黒くなる様な症状を示した。

そこで原告力代は看護婦に対して原告比呂子の右の症状を伝えたが、「神経質すぎる」といってとりあってもらえず、又その夜の回診時に被告に対しても右の症状を伝えたが、被告は「黄疸が少し強い」といいながらも、格別の処置をとらなかった。

右回診直後原告比呂子が叫び声をあげて目をつり上げ、手をつっぱり震えるという発作を起こしたので、原告力代は直ちに看護婦にその状況を伝えたのにとりあってもらえないまま、原告比呂子は、その夜たびたび右同様の発作を起こした。

そして原告力代が哺乳しようとしても原告比呂子は一切飲もうとしなかった。

5  一〇月一一日原告比呂子は朝方二回に分けて六〇ミリリットルのミルクを飲んだが、原告力代は原告比呂子に発熱を感じたので、看護婦に対し前夜の症状とともにその旨を話した。そこで被告において検温(腋下)したところ三八度八分あり、しかも黄疸が更に増強していて呼吸も乱れ、一般状態も悪化していたので、被告は黄疸が強く哺乳力も弱いことを理由に同日一一時ころ原告比呂子を医療センターに転院させた。

なお、甲第一号証の九は右転院に際し、被告が医療センターの医師に宛て原告比呂子の被告医院在院中の経過を連絡した文書であって、これには一〇月一〇日の原告比呂子に対する授乳量は一一〇ミリリットルと記載されているが《証拠省略》によっても、右記載の根拠が必ずしも明らかでないこと、《証拠省略》により原告比呂子が医療センターに入院した際、同センター職員が原告比呂子に附添ってきた被告医院の看護婦の供述に基づいて記載したことが認められる甲第三号証の一(看護記録)には、一〇月一〇日の哺乳量として四〇ミリリットルと記載されていることおよび同日原告比呂子は殆んど乳を飲まなかったという《証拠省略》に照して右記載は採用できない。

三  医療センターにおける原告比呂子の症状と診療経過

《証拠省略》を総合すると次の事実が認められる。

1  一〇月一一日午前一一時一五分原告比呂子は医療センターに入院したが、その際の状態は、体重三一〇〇グラム、全身に黄疸が現われ、四肢わずかに固く、その末端にはチアノーゼもみられ、昂奮状態が続いていて、泣声は弱く、脱水症状を呈していて、医師から核黄疸の疑いが濃厚と診断された。直ちに原告比呂子の血清ビ値が測定されたところ一デシリットルあたり三七・八ミリグラムと異常に高い値(通常二〇ミリグラム以上をもって核黄疸危険値とされる)を示したため、交換輸血をするべく準備されたが、その間にも時折瞬間的に上肢をつっぱり、開眼し、うめくような声を発し、呼吸が速くなるという症状を呈した。同日午後二時五〇分から原告比呂子に対し交換輸血が実施され、同四時三〇分終了、更に光線療法が開始された。

2  そして右交換輸血後一〇月一四日までの間原告比呂子はその哺乳力は弱く、時折チアノーゼ状態を呈し、四肢強直、痙攣を繰り返し、黄疸も顕著であった。しかし同月一五日以降の原告比呂子には、筋強直、痙攣等は認められず、血清ビ値も同月一七日には一デシリットルあたり六・九ミリグラムまで低下し、同月一八日以降は哺乳力も良好と認められるようになり、同月二七日医療センターを退院するに至った。

四  原告比呂子の現在の状態

《証拠省略》によれば、原告比呂子は医療センター退院後引続いて著しい運動機能障害があり、日常の起居動作は不可能で、いまだ首もすわらず寝たきりの状態で、咀嚼能力もなく、更に重度の言語障害を伴い、原告富雄、同力代の常時の介護を要すること、そして原告比呂子は昭和四八年二月一〇日横浜市から脳性麻痺による四肢痙性麻痺の障害を有し、身体障害者等級表による級別一級に該当する者として身体障害者手帳の交付を受けたことが認められる。

五  原告比呂子の障害(脳性麻痺)の原因

1  原告力代の血液型がO型、原告比呂子のそれがB型であることは当事者間に争いがなく、原告比呂子はABO式血液型不適合児であるというべく、一般に母子間の血液型不適合の場合「新生児溶血性疾患」を惹起して黄疸を発現することがあり、これが更に増強すると核黄疸に陥ること及び核黄疸の症状に関する請求原因6、(一)、(2)、②の事実は当事者間に争いがない(なお、①の黄疸の発現時期については、《証拠省略》によれば、ABO不適合の場合、多くは生後二四時間以内、遅くとも四八時間以内であることが認められる)。そして、これを前認定の原告比呂子の出生後の経過、症状、即ち、出生後三六時間以内である一〇月八日夕方には既に黄疸がみられ、翌九日から一〇日にかけてこれが増強するとともに、核黄疸の第一期症状とされる哺乳力の低下、吸啜反射の減退、嗜眠の各症状を呈し、さらに脳の病変が不可逆性となる第二期症状に符合して、一〇日夜には痙攣発作、一一日朝には発熱、手足の筋強直、昂奮状態等を呈し、血清ビ値が同日の検査において危険限界とされる一デシリットルあたり二〇ミリグラムをはるかに越えて三七・八ミリグラムを示し、同日の交換輸血前既に右のとおり脳性麻痺の後遺症発生の確度の高い状態に入っていたこと、交換輸血後の一五日以降には筋強直、痙攣がみられなくなり、第三期症状に入ったとみられることなどを併せ考えると、原告比呂子の脳性麻痺の原因はABO式血液型不適合(溶血性疾患)に起因する核黄疸であることを認めることができる。

2  被告の主張に対する判断

(一)  被告は原告比呂子の脳性麻痺の原因は医療センターにおける交換輸血後のはね返り現象のためであると主張するので、この点について判断するに、《証拠省略》によれば、原告比呂子の血清ビ値は交換輸血後の一〇月一二日一旦一デシリットルあたり二三・六ミリグラムに下がったにもかかわらず再び同日三四ミリグラムに上昇し、はね返り現象が起っていることが認められるが、他方同証拠によればその後同日一デシリットルあたり二三・四ミリグラムに下がり、更に一八・四ミリグラムとなり、一七日には六・九ミリグラムになっていること、医療センターでは右三四ミリグラムに達した後右のとおり血清ビ値の減少傾向が認められたことから再度の交換輸血を施行しなかったことが認められ、右事実に前記交換輸血時には既に核黄疸の第二期的症状がみられ、血清ビ値も異常に高く、右時期の交換輸血によって脳性麻痺の後遺症の発生を阻止することが極めて困難な状態であったことを考え合わせると、右はね返り現象は一過性のものであって、原告比呂子の脳性麻痺はむしろ交換輸血前のビリルビンの異常増加に起因するものと認めるのが相当である。

(二)  被告は更に原告比呂子の黄疸は敗血症ないし感染源不明の髄膜炎に起因するものであると主張するが、右の主張を認めて前記認定を覆えすに足りる証拠はない。

六  被告の債務不履行

1  《証拠省略》によれば、妻の血液型がO型である場合、夫のそれがB型であるとその間の新生児のそれはB型である蓋然性および血液型不適合による重症黄疸発生(早発性が特徴である)の蓋然性が予測されることが認められ、また請求原因6(一)(3)記載の核黄疸に対する治療方法については当事者間に争いがない。

2  従って、被告としては、新生児分娩前原告富雄の血液型を検査して、それがB型であることを確認した上、原告力代のそれがO型であることと思い合せて、血液型不適合児出生の蓋然性および同児の重症黄疸発生の蓋然性を予測し、対応態勢を整えておくべきであったし、しかも被告は前記のとおり原告比呂子の出生の翌一〇月八日夕方には同女の黄疸発現を、翌九日にはその増強を認めており、更に九日から一〇日にかけて原告比呂子が核黄疸の第一期症状を呈していたのであるから、右時期における原告比呂子の一般状態を注意深く観察し、核黄疸の発症を疑って機を失せず、必要に応じて検査、手術設備の整備された病院へ転院させ、血清ビ値の測定、交換輸血等の措置をとり、核黄疸をその初期の段階において発見し、かつその進行を阻止すべき注意義務があったものというべきである。

3  しかるに《証拠省略》によれば、被告は原告比呂子の出生前原告富雄の血液型を検査せず、新生児につき母子血液型不適合による重症黄疸発現の蓋然性を予測していなかったことが認められ、原告比呂子出生後も、前記のとおり、被告は原告比呂子の黄疸を生理的黄疸と考えて核黄疸の発生の危険はないものと判断し、一一日原告力代から原告比呂子の痙攣発作および発熱の報告をうけるまで右比呂子を放置して、その一般状態を注意深く観察することを怠ったため、核黄疸の発生を早期に発見しえず、後記のとおり適切な治療の機会を失したのであるから、原告比呂子の診療につき医師としての十分な診療義務を尽さなかったものと認めるほかない。

七  被告の債務不履行と原告比呂子の脳性麻痺との間の相当因果関係

ところで、核黄疸の第一期の状態にあって血清ビ値が一デシリットルあたり二〇ミリグラムの範囲内の段階で直ちに交換輸血を行えば通常脳性麻痺の後遺症の発生を阻止できること、一〇月一一日の交換輸血前に原告比呂子の核黄疸が既に第二期の段階(脳の病変は不可逆性になる)に進行していたことは前記のとおりであるから、原告の核黄疸後遺症としての脳性麻痺は被告の前記債務不履行により交換輸血の機を失したために生じたものであることが明らかであり、被告はこれによって原告らの被った損害について賠償責任を免れないものといわなければならない。

八  損害

1  原告比呂子の慰謝料

原告比呂子は本訴において、被告の債務不履行によりうけた物的(経済的)損害をも精神的損害に評価し直し、本来の精神的損害とともにすべてを慰謝料という形で賠償請求していること、物的損害については将来改めて賠償請求する意思のないことはその主張自体から明らかである。そして右のような請求も、物的損害につき、個別積算による試算を前提としながら、これらすべての被害を個別に細分化せず、慰謝料という形で包括的にとらえ、社会通念上妥当な範囲で損害額を算出してこれをなすことは合理性を有し法の許容するところと考えられる。

そこで原告比呂子の損害について考えるに、原告比呂子は脳性麻痺疾患により身体障害者等級表による級別一級の重度障害児であって労働能力は一〇〇パーセント喪失していること、又原告比呂子は常時介護を必要としその回復の見通しも立っていないこと、原告比呂子が脳性麻痺後遺症により生涯精神的苦痛をうけるであろうこと、本件債務不履行の経過、内容等諸般の事情を考慮すると、原告比呂子に対する慰謝料としては金三〇〇〇万円を下ることはないと認めるのが相当である。

2  原告富雄、同力代の慰謝料

原告比呂子が身体障害児となるに至り、しかもその程度が生命侵害にも比肩し得るものであることにより、原告富雄・力代夫婦が親として多大の精神的苦痛を被ったであろうことはいうまでもなく、更に日常の介護の手間や、治療費等の経済的負担、愛児の将来についての不安などによりその苦痛はなお継続し、増大するものであることは察するに難くない。

原告富雄、同力代は本件診療契約の当事者として被告に対しその債務不履行による精神的苦痛に対する慰謝料請求権を有するものというべきところ、右慰謝料としては前記事情の外、諸般の事情を考慮し、各自につき金三〇〇万円づつをもって相当と考える。

九  原告らが被告に対し昭和四九年一月二二日送達の本訴状をもって原告比呂子につき金一〇〇〇万円、原告富雄、同力代につき各金二五〇万円の支払の催告をし、更に昭和五三年一月一八日送達の訴の変更申立書をもって原告比呂子につき金二〇〇〇万円、原告富雄、同力代につき各金七五〇万円の支払の催告をしたことは記録上明らかである。

一〇  以上の次第で被告は債務不履行による損害賠償として原告比呂子に対し金三〇〇〇万円及び内金一〇〇〇万円に対する昭和四九年一月二三日から、内金二〇〇〇万円に対する昭和五三年一月一九日から各支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金、原告富雄、同力代に対し各金三〇〇万円及びそれぞれ内金二五〇万円に対する昭和四九年一月二三日から内金五〇万円に対する昭和五三年一月一九日から各支払ずみまで右同割合による遅延損害金の各支払を求める限度において理由があるからこれを認容し、原告富雄、同力代のその余の請求はいずれも失当であるから棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条本文、九三条一項但書を、仮執行の宣言につき同法一九六条一項を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 佐藤安弘 裁判官 坂主勉 遠山廣直)

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